ラーハルトは難しい顔をして小瓶を見つめていた。

苦労して貯金した金でようやく買った魔法の品である。



― ベタネタ1 記憶喪失 ―



「どうするべきか・・・」

これをヒュンケルに飲ませる。

それがラーハルトの目的だった。

しかしいざ薬を前にすると尻込みしてしまう。



これはいわゆる、記憶を失わせる薬。



罪の意識に苛まれるヒュンケルに、これを飲ませ、どこか人里離れた遠い土地に幽閉・・・

もとい匿ってしまおうという考えだった。

ヒュンケルは今なお人間のために無理して働いており、このままでは十年、いや、五年生きられるか危うい。

ヒュンケルはラーハルトにとって、喪うには大きすぎる存在になっていた。



(これを飲めば俺の事すら忘れてしまうかもしれん・・・第一どこまで記憶を失うのか・・・)



ぼーっとしていると、ノックをする音が聞こえた。

「ラーハルト?いるのか?」

「ヒュンケル?!」

がちゃん



不思議な香りが部屋に立ち込めた!!!



「ぐっ!!!いかん、入るな!」

「ど、どうした?ラーハルト?」

「なんでも無い。いいから・・・」

視界が暗くなっていき、気が遠くなる。

「ラーハルト!ラーハルト!!!」

友を心配するヒュンケルの声だけがいつまでも虚しく響いていた。




-------------




ラーハルトが目を覚ますと、石造りの白い部屋が見えた。

清潔なシーツに、消毒液の香り。

心配そうな目をしてこちらを見る・・・白い男。



この男には見覚えが・・・



「ヒュンケル・・・!!!」

いきなりガバッと起き上がると、その首につかみかかった。

いつもの不敵な笑みはどうしたのか、ヒュンケルは驚いた顔で目を丸くしている。



「不死騎団長とはいえ容赦はせん。人間の気配がするな。おのれ!寝返ったか!」

ヒュンケルはなおもぼんやりとラーハルトを見返すばかりで、何も言わない。

ラーハルトは無性に腹が立った。

「ここは人間の拠点か?どういう術を用いたか知らんが、俺を捕虜にしたつもりか。

馬鹿馬鹿しい、こんな場所すぐに破壊してくれる。」

「待て。」

そこでようやくヒュンケルが言葉を発した。



「なんだ。」

「何故俺がここにいるのか考えはしないのか。」



ラーハルトはその言葉に、皮肉っぽい笑みを浮かべた。



「ふん、貴様ごとき俺の相手では無い。」

「しかしお前は現にここにいる。」

「・・・お前に敗れて俺はここにいるのか。」

「いいや。」

「・・・・・・。」



ラーハルトはぐむ。と言葉に詰まった。

ヒュンケルは面白そうに自分を眺め、観察している。

そんな顔は見た事が無い。

いつも遠くから、六大団長として、バラン様の隣にいるのを遠目に見るばかりで。

ただ一人だけの人間の青年は、一際小さく、頼りなく見えた。

大魔王のお気に入りという下世話な呼び名が魔王軍のあちこちに飛び交っていた。



「大魔王バーンは死んだ。」

「何!」

突然の告白にラーハルトは目を見開く。

不意に師の安否が気にかかった。

ヒュンケルは一度ラーハルトを見、目を伏せる。

ラーハルトはそれだけでバランの死を悟る。



「バランはダイを守るため、黒の核の爆発を抑えるために竜闘気の最大放出をして死んだ。」

「黒の核?バーンはそんな物を・・・」

「バランはダイと共闘する事を選んだ。人間のために戦う事を。そしてダイにお前の力を貸してほしいと。」

「馬鹿な・・・あの方が人間を許すなど・・・」

「詳しい事はバランがお前に宛てて書いた遺書にある。」

「それは何処にある・・・」

「さあ、知らんな。俺とお前の仲とはいえ、それだけは教えてくれなかったじゃないかラーハルト?」



首にかかった銀髪を艶めかしい仕草で払うと、気だるげな視線を送ってくる。

ざわり。と、全身が総毛立つ。

そんなラーハルトを見てくつくつと笑うヒュンケル。

「ああ、本当に何もかも忘れてしまうとはショックだ。」

「・・・何があったと言うのだ・・・」

俺とお前が、友人になった・・・とでも?



「つれないな。恋人に向かって。」

ラーハルトに向けて白い指を伸ばすヒュンケル。

それが頬を撫でる前に、ガシリと強い力で腕をつかむ。



「あ。」



どちらが声を上げたのか。

ヒュンケルの脆い骨はラーハルトの手の中でぽきりと折れた。

手の中で骨が折れる感触と、自分の手でつかめてしまうほどに痩せたヒュンケルの身体に、二度呆気にとられる。



「お前はヒュンケルか・・・?」

あの不死身で有名で、殺しても死なない、丈夫さが売りの不死騎団長。

ヒュンケルは骨を折られたと言うのに眉をぴくりとも動かさず、面白そうにラーハルトを見つめていた。

・・・間違い無い。これはあの不死騎団長だ。

痛覚を母親の腹の中に忘れて産まれてきたと噂される、あの無謀な人間の剣士。



「お前の恋人だ。」

ヒュンケルは再度呟く。

「悪い冗談はよせ。」

「本当だとも、お前は昨夜も俺の上で生娘の様に喘いでいたぞ。」

人の悪い笑みを浮かべて囁く様に言う。

頭を金づちで打たれた様な衝撃がラーハルトを襲った。



抱かれた。抱かれる側。この俺が!

よりにもよって、この男に・・・!



思わず手を放す。



折れた腕はだらりとベッドの上に落ちた。

「心地いい痛みだ。お前の所業だと思うと尚更な。」

綺麗に整った白い貌で、紅い舌で唇を湿らせる。

艶を帯びたその様に不覚にも身体が熱くなった。



「いっそ、気に入らないならここで殺してみるか。」

「なに?」

ラーハルトはヒュンケルの言葉に耳を疑う。



「ラーハルト、お前が俺を今どう思っていようと、俺がお前を愛しているのは変わらない。

そのお前自らこの俺に手を下してくれると言うのなら、俺は甘んじて受け入れよう。」

「・・・・・・。」

癪に障る男だった。常に本心を覗かせず、気に食わない。

人間のくせに堂々とバラン様と肩を並べて・・・



しかし・・・



「お前はなぜそこまで脆くなった。」

手の中で骨が砕ける感触がまだ残っている。

ヒュンケルはほんの少しだけ辛そうに目を伏せた。

「別に、どうと言う事は無い。人間風情が無理をしたツケが回って来た。それだけの事だ。

いい気味なんじゃないのか?お前は。」

ヒュンケルは甘い態度を一転させると、折られた腕をぶら下げたまま、立ち上がる。



「お、おい!」

「お前はバランからダイに託された身。ダイはバランとソアラ二人から竜の紋章を受け継いだ。

紛れも無い竜の騎士だ。お前は竜騎衆としてダイに尽くすと誓った。

俺が言えるのはここまでだ。

後はお前の忠義に問うがいい。

しかしそれでも人間を殺したいと言うのなら・・・」



ヒュンケルは動く方の手で鍵を取りだした。

ちゃり。と、それをラーハルトのベッドサイドのテーブルに置く。



「俺から殺すといい。好きな風に。俺は痛覚が麻痺している。できるだけ時間をかけて嬲り殺せ。」

「・・・俺はお前の恋人と聞いていたが。」

「以前はな。しかし今は俺が一方的に想っているだけだ。」

「・・・そんな相手に嬲り殺しにされて嬉しいのか?」

ラーハルトの言葉にヒュンケルが振り返る。



ヒュンケルは瞳を狂気で輝かせ、口元だけでにたりと嗤った。



「!!!」



本能的な恐怖を感じ、ラーハルトは背筋を凍らせる。

「西の塔にいる。衛兵にでも聞け。すぐに分かる。」



ドアを開けると、ヒュンケルが再び呟いた。



「愛しているよ、ラーハルト。」













-------------













ラーハルトは先ほどのヒュンケルの言葉を反芻しながら、混乱する頭を押さえていた。

ダイに忠誠を誓った。自分は忠義に厚い。それならば人間の味方をせねばならない。

しかしどういう経緯でバラン様が人間側についたのか分からない。

思い出せない。納得できない。



窓の外には活気に満ちた人間の街。

ヒトの街の隅で迫害された半魔の少年。それは自分。

迫害の果てに死んだ母。

墓標を前に人間に復讐しようと誓った。



― 俺から殺すといい ―



腕をへし折られながら、眉一つ動かさない人間の男。



(愛しているだと・・・)



くらくらとする頭を必死で押さえる。

俺にふざけた事をぬかした輩には、出来る限り惨い死に方を与えてきた。

しかし、あいつはむしろそれを望んでいる。



(狂っているのか・・・)



何か冷たい物が臓物を冷やしている様だった。



気に入らないなら壊してしまえばいい。

今のヒュンケルならば容易い。

しかしヒュンケルのあの表情はなんだったのだろう。

弱者を嬲る者独特の、残酷な笑みをしていた。

嬲られる側の者がどうしてそんな笑みを浮かべられる・・・



何か罠にはめられている様な、不安で落ち着かない気分だった。




「ラーハルト、入っていい?」

声変わりしたばかりの青年の声。

黒髪の凛々しい青年が部屋に姿を現した。



「バ・・・バラン様!?」




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「ふーん、本当に記憶を無くしてるんだ。」

「・・・はい。その様です。」

特に慌てた様子も無く、ダイはラーハルトを見つめている。

無邪気すぎるその視線は、見つめられるだけで居た堪れない気分になる。

恥ずかしい事など何も無い。筈なのに。



「ディーノ様・・・何故人間共のためになど・・・」

ラーハルトはようやくまともに話をできる存在を前にした。



対してダイは無邪気な表情のまま

「ええー?分かんないよ俺、そんな難しい事。」

ラーハルトはその言葉にがくりと項垂れた。



「ただね、あの戦いは人間が凄く不利だったんだよ。

俺が竜の騎士だって言うなら当然の働きをしたと思うんだけど。」

あっさりとしたダイの正論に、ラーハルトはまたも口をつぐむ。



そうだった。



そもそも竜の騎士とは『そういう存在』なのだ。行動に理由や私情を挟む事こそ間違っている。

「・・・おっしゃる通りですが・・・ではモンスターや魔族が迫害された場合は当然・・・」

「勿論モンスターや魔族の味方をするよ。ただしそれも世界的なバランスによると思うけど。」



ラーハルトは今度こそ大きく息を吐き出した。

小さな迫害など、何処ででも起きている。

たとえその対象が、魔族であろうが、モンスターであろうが、人間であろうが・・・



「何故か・・・長い夢を見ていた気分です・・・。」

「あれ?納得しちゃうの?」

ダイは何故か不満そうな声を出す。

「納得してはいけないのですか?」

「なーんかね、ラーハルトを言葉でねじふせてみせるって、レオナが凄く意気込んでたから。」

「レオナ・・・」

「俺の奥さん。」

「・・・・・・丁重にお断りを・・・」



何故かその者と関わってはいけない。

そんな気がした。




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「ねえポップ君、それでその記憶喪失の薬なんだけど、効力はどんなもんなの?」

「そーだな。さっき師匠に見せてきたんだけどよ、それほどでもねーみてーだ。

ラーハルトの奴偽物つかまされてやんの。」

にへへ。とポップは愛嬌たっぷりに悪い顔で笑って見せる。

いつも真面目な半魔の青年が失敗をするのは微笑ましい事件だ。



「それにしても暴れたらどうしましょうか?」

「姫さんまだフェザー預かってんだろ?それでベタンなりなんなりして放置しとけば?」

「可哀そうだけど効力が切れるのが早いならそれも仕方ないわね。」

「術の中で姫さんの説教とは地獄だな・・・」

「何か言った?!」

「いいえぇ!!!」



そんな二人のもとへ、二人の男が歩いて来る。

一人はダイと、もう一人は・・・



「あらやだ・・・何説得されてんのよ。」

「やっぱり説教するつもりだったんじゃねーのかよ・・・。」



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「ラーハルト、とりあえず自己紹介するわね。私は・・・」

レオナが口を開く前にラーハルトがかしずいた。



「存じております。ディーノ様の奥方のレオナ姫、それにご友人のポップ殿。」



そんなラーハルトの態度にレオナとポップはムンクの悲鳴の様な表情で固まった。



「?何かおかしな事でも?」

「い、いえね、別にそんな・・・ねえ?」

「あ、ああ。いつものお前と変わらねーから驚いてたんだよ。」

ラーハルトは黙ってかしずいたまま。

ダイは目線でどうする?とレオナに問いかけてくる。

レオナはポップを見つめる。ポップはぶんぶんと頭を振った。



「そ、そうだわ。あなた、確かヒュンケルとはいい友人だったのよね。

彼も真面目だし、城での生活で分からない事があればきっとなんでも教えてくれるわ!

ねっ!?」

最後はダイとポップの二人に対しての呼びかけだった。

ダイもポップもすごい勢いで首を縦に振っている。



しかし・・・



「姫・・・あの者は危険です。早急に排除すべきかと・・・」

ラーハルトが突然信じられない言葉を吐いたのだった。

「え?ちょ、ちょっと、どういう事よ!?

だってあなた達親友なんじゃ・・・」

「記憶を失っておりますのでなんとも・・・

ですがあの者、聞いた所によればこの国を一度滅ぼしかけたとか・・・」

言われてレオナはぽかんとした顔をする。

まるで今まで忘れていたかのような顔で。

「その様な者が姫のおそばに居るなど、国民は心穏やかではありますまい。」

「・・・なんだか似た様な話を聞いた気がするわねえ。」

思案顔でレオナが言う。

「民は無知で残酷です。良からぬ考えを抱かせる前に、あの者を公開処刑にすべきです。」

「真面目だなお前~。」

ポップが何処か感心した様な顔でラーハルトを見つめる。



「私は間違った事は何一つ申しておりません。そのつもりです。」

「そうね。」



言ってレオナはにこりと笑った。



「でもその忠告は何百回も貴族や大臣、側近達から聞いてるの。」

ラーハルトはその言葉に首をかしげる。

「では、何故?」



その後レオナはとんでも無い事を言った。



「その度にあなたが怖ーい顔してもみ消して来たんじゃない。」





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止める者がいなければ、ヒュンケルの首は明日にでも飛ぶ。

つまり、ラーハルトの言葉一つであの男の生死が決まると言う訳だ。

いいや、自分の記憶が失われた事が知れ渡っていれば、それを実行しようという輩がすでにいるのかもしれない。



不安定に脈打つ不快な心音を押さえながら、ラーハルトはヒュンケルの部屋へと足を向けていた。



ヒュンケルの部屋のある回廊まで来ると、ちょうどヒュンケルの部屋から牧師と、恐らくこの国の重鎮であろう貴族が出てきた。

彼らはラーハルトの姿を目にするやいなや、目を見開いて硬直した。

しかしラーハルトは特に気にするでもなく彼らの横を通り過ぎた。

軽く会釈までして。



そしてそのままヒュンケルの部屋に入ってぱたんと扉を閉めた。





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「ラーハルト・・・」

狭い、重苦しい、小汚い部屋だった。

部屋には絵本から難しい論文など、まとまりも無く散らばっていた。

しかし聖書はどこにも無い。

明り取りの窓には暗い色のカーテンが引かれ、陰鬱な空気を増している。

こんな部屋で愛し合う事など、自分には到底出来そうに無い。

やはり嘘だったのだ。全て彼の作りごとだ。



「このままだと俺は明日処刑される。」

「それは良かった。」

ラーハルトは率直に答える。

そこで初めてヒュンケルが縋る様な視線をよこした。

「ラーハルト、お前は殺してくれないのか?」

「執行人も職業の一つだ。俺は竜騎衆。この国の執行人ではない。」

「・・・恋人だった。」

「嘘だ。」

「・・・友人でもいい。」

「知らん。」

「・・・バラン・・・」

「なんだと?」

突然出された師の名前に、ラーハルトは動揺する。



「俺はバランをたぶらかした事もある。ソアラとの思い出を汚し、お前の師を汚した。」

ラーハルトは全身の毛が逆立つのを感じた。

怒りで目の前が赤く染まる。



「どうだ、俺が憎いだろう・・・。ふふ、流石のバランも男は初めてだった様だ。

予想外に手間取って焦っていたのをよく・・・」

「貴様ッ!!」



ラーハルトの手がヒュンケルの首に伸ばされる。



そのまま手に力を籠めようとする。

手に脆い骨が崩れさる感触が蘇る。

心のどこかが軋んだ悲鳴を上げた。



手先に力が集まらない。

籠められた力は指先まで伝わらず、腕のあたりで止まったまま。

ぶるぶると震えた。



冷たい汗が背中を伝っていく。



ふとヒュンケルの顔を見るとこれ以上無いほど安らいだ幸福そうな顔をしている。

安らかに閉じた目、薄く開かれた唇。




「やめろ!!」




誰に対しての言葉か分からない。

叫んだ後ラーハルトはヒュンケルの部屋を飛び出した。

何故か酷く、ヒュンケルに傷つけられた気分だった。




-------------




ざわざわと人の波が広場に押し寄せる。

― あの方も英雄の一人です!どうか、どうか御慈悲を! ―

― 早く殺せ!あの恥知らずを! ―

― 八つ裂きにしろ! ―

― なんて惨い事を、こんな罪深い事神はお許しにならない ―



思い思いに人々が口にする中、ラーハルトは何故かこの国の執行人として、首切り斧を持たされていた。

竜の騎士直々の命令とあれば断わる事など出来ない。

しかし何故そんな事を命令できる。



(ヒュンケルは、ディーノ様の兄弟子だった筈・・・)



― お前は殺してくれないのか? ―



(・・・あいつ・・・!!!)



ラーハルトは怒りとも戸惑いともつかない、不快な思いで震えた。



・・・友人・・・親友・・・恋人・・・



一体自分に何が起こった。

この記憶喪失は永続的な物か。それとも一過性の物か?

もしも記憶を取り戻したら、ヒュンケルを殺した事を自分は後悔するのだろうか。



昨日の残忍なヒュンケルの笑みが思い出される。

熱した鉄を押し付けられる様な冷たさを全身に感じた。



時間が進まないで欲しい。

違う。こんな展開は望んでいない。

じゃあ何を望んでいた。



そうこうしている内に、儀式めいた処刑の工程が進んで行く。

白い粗末な着物に手錠をかけられたヒュンケルが登場した。

荘厳な衣装をまとった法王の姿に、一同は罵声を浴びせる事も忘れて静まり返る。

書記官がヒュンケルの罪状を述べる。

続いて僧侶達の讃美歌。

法王直々にヒュンケルに対しての祈りの言葉。

最後にレオナ姫が近寄り、何か言葉は無いかと尋ねる。

ヒュンケルは黙って首を振り、慈愛に満ちた聖母の様な笑みをラーハルトに向けてくる。



全ての工程は手のひらから砂がこぼれおちる様にさらさらと進んだ。

首切りの台を処刑人の男達が持ってくる。

その上にヒュンケルが静かに首を乗せた。



少し長くなった銀の髪が、さらりと脇に落ちて白い首筋があらわになる。




・・・少し長くなった・・・?






「・・・・・・。」





















シンと静まりかえる広場。

ラーハルトは斧を振りかぶる素振りも見せず、茫然とした様子でそこに佇んでいた。

「ラーハルト殿・・・お早く・・・」



処刑人の一人が、少々焦った様子で語りかける。

広場がざわついて来た。

姫が控えている場所はここからそれほど遠く無い。

処刑の工程を乱す事は姫の危険に繋がる。



しかし、、、しかし、、、、、、、、











全身が軋んだ様に動かない。

呼吸が早くなる。

ただただ差し出されたヒュンケルの白い首が恐ろしかった。

その首が落ちれば紅い血が噴き出して、自分を染めるだろう。

もし、もしもその瞬間、記憶を完全に取り戻したら・・・















自分は狂う。















いや、狂いかけている。

記憶が、うっすらと戻りかけている。

あの小汚い部屋を文句を言いながらかいがいしく掃除をした。

窓を開けて空気を入れ替えると、太陽が嫌いだと毛布の中に潜った。

お気に入りの毛布が出来て、子供みたいに手放さなかった。

子供の時間を取り戻す様に、二人して絵本に夢中になった。



・・・生娘の様に喘いだ覚えは無い。

しかし、上にのしかかって身体を繋げた。

繋げた快楽より、つないだ手のひらの方が幸福で、

情事の後の他愛の無い触れ合いがもっと幸福で・・・



ヒュンケルは俺が疲れて横になった後も、どこにそんな元気があったのか、熱心に俺の体中にキスをしていた。

見える所にするな。と怒ると、見える様につけていると言った。

手加減して頭を殴った。



そうだ。お前はとても脆いから、いつも手加減して・・・




「うあ・・・ぁぁあ・・・」

「ラーハルト殿!?」



ラーハルトが全身を震わせ、首切り斧がガランと落ちた。









ザッ・・・






広場に突風が吹いた。

そしてその後には・・・

執行人の姿も、罪人の姿も見当たらなかった。








-------------








「行ったみたいね。」

ざわつく会場の中でレオナが小声で言う。

「ああ。流石にヒヤヒヤしたけど。」

「よく言うわ。その気になればラーハルトを止められるメンバーがここに何人集まってると思うの?」

・・・群衆に交じってかつての仲間達がもしもの時のために身を潜めていたのだった。



「ラーハルトには言えないな。プライドをずたずたにしちゃうよ・・・。」

「少しくらいへし折ってやればいいんだわ。ヒュンケルくらいが扱いやすくて丁度良かったんだけど。」

言いながらレオナは二人が飛び去った空を眺める。



「十分すぎるくらい、働いてくれたものね。もういいわ。休ませてあげる。

だから私達の事も許して・・・ヒュンケル・・・」








-------------








ヒュンケル。

酷い奴だ。酷い奴だお前は。

よりにもよってこの俺にあんな真似を・・・



心臓がまだ早鐘を打って治まらない。

どこに行けばいいのか、目的もないままヒュンケルを抱えて走った。

落ち着かない。

止まれば気が狂いそうだった。



なんていう事をしてくれた・・・

一歩間違えれば俺は間違いなくお前を殺していた。

お前に生きて欲しいと願う俺に、何故そんな事をさせる。

もっと酷い事にお前は俺が後悔する事を確信していた。

だからあんな残忍な笑顔で俺を嗤った。



バラン様の事まで持ち出して、惨い殺し方をさせようとした。

何故、何故だ。

俺がお前を愛しているからか。

お前が俺を愛しているからか?



・・・身体を壊した事を、俺が手加減をして触れていた事をずっと悔しく思っていたのか。

それで俺の精神を壊そうとしたのか・・・

肉体の代わりに・・・



走り続けていると、清らかな水の流れる川に出た。

周囲は深い森。人の気配は無い。

ようやく落ち着ける場所に出た・・・



そう思って腕に抱えていた白い身体を大切に抱きしめて座った。

子供が大事な人形を抱える姿によく似ている。




「・・・ヒュンケル・・・」

「・・・ラーハルト・・・記憶が戻ったのか・・・」



ヒュンケルの声は沈んでいるが、この程度では彼の感情を推し量る事は出来ない。




「お前は俺を憎んでいるのか?」

ラーハルトは酷く疲れた気持ちで尋ねる。

「とても愛している。」

ヒュンケルはすぐに返答する。

「・・・愛している人間にさせる事じゃ無い。」

「・・・・・・。」

ヒュンケルは黙ってラーハルトの顔に手を伸ばす。

両手に手かせがはめられていた。

片方の手は自分が昨日折った。

古木の様に脆くひしゃげた。

赤黒く腫れて、痛々しい。



ラーハルトは急いで手かせを粉砕した。



白い手が伸びて、ラーハルトの頬を撫でる。

「興味があった。」

あやふやな言葉に、首をかしげる。



「俺を殺した、お前のその後に・・・

お前が記憶を取り戻し、俺を思って一滴でも涙を流してくれれば幸せだ。

また、お前が記憶を取り戻さず、俺一人ただの罪人として死んでいくのも、それはそれでいいと思った。

何よりも、お前の手によって死んで行きたかった・・・

俺は戦士として死ぬ機会を失った。

そんな人間にとって、お前の様な最高の戦士の手で葬られる事はこれ以上ない喜びなんだ。」



ラーハルトは唇を噛んだ。

騎士道を重んじ、誰よりも強い闘志を抱くその魂は、彼に惹かれるきっかけとなった部分でもある。

だが、ヒュンケルに惹かれたのはそれだけでは無かった。

不器用な優しさや思いやり、彼の凍りつく様な孤独と、そこから来るいたわり。



何よりもヒュンケルはラーハルトを誰よりも愛してくれた。

これほど愛された事は無い。

ヒュンケルがラーハルトに注ぐ愛情は、母よりも、バランよりも強い物だった。



「一滴の涙で済む様な物か?俺達の間にある物はその程度の物だったのか?

俺はそんなに薄情か?

こんな・・・俺の記憶が戻らぬまま、俺の意思の外で、お前を処刑する所だった・・・

お前を殺した瞬間を脳裏に焼き付け、その罪を背負ったまま生きていかねばならん。

いや・・・知っていただろう、本当は。

俺が確実に後悔して、狂う事を・・・涙を一粒だなどと健気な事を言って・・・

本当は俺の精神ごと破壊していくつもりだったのだろう・・・」




そこまで言ってラーハルトは泣いた。

ヒュンケルはそれを見て、痛そうに顔を顰めた。



「知っていた・・・お前は、優しいから・・・」

「ふざけるな。」

「どんな事をしてもお前の記憶に残りたかった。それがお前に酷い傷を残す事になっても。」

「・・・酷い奴だ・・・お前は・・・。」

「知っている。」




しばらく二人は何も言わず、ただ抱き合っていた。









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「もう、パプニカには帰れんな。」

ぽつりと呟かれたヒュンケルの言葉。

「帰すつもりなど無い。」

ラーハルトはきっぱりと言い切った。




「覚悟しろ。お前はこれから重病人の様に扱われて、

二度と剣を扱う事もできずベッドの上で死んで行くんだ。」

「それは恐ろしい事だ・・・」

ヒュンケルはほんの少し、身を竦めた。



「恐ろしい事など無い。俺がいる。」



ラーハルトが優しく囁く。










「俺が傍にいる。それだけでは不満か。」

ラーハルトはヒュンケルを柔らかく抱きしめたまま、再度問う。

小さく掠れた様な返答があった。

ラーハルトの魔族の耳にのみ、それは届く。









「ラーハルト・・・愛している。」







終わり
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近似値キリ番でゲットいたしました!
ラーハルトの方が記憶を失ったり処刑まで行ったり最後は二人きり将来だったりいやあ手に汗握りました!いつもながら想像以上です!素晴らしい!
そしていっそ怖いくらいに愛されてるラーさんが素敵v(土方聖架)