§ パフリシア城の悪霊 §

【1】

 「おのれ〜、私を祓うとは……許さぬ、この国の……この国の王よ、我が怨みを受けよ! きぇ〜〜〜!」
 叫び声を上げながら悪霊はこちらを指差した。差した先にいたのは、アデューだ。
 「アデュー!」
 イズミが叫んだ。悪霊の力を防ごうとしたが、アデューがいる場所はイズミからは離れている。イズミはアデューの元へと走り出した。
 アデューは驚きに悪霊を見るばかりで、どうしたらいいのかわからない。そのアデューの目の前が、ふいに白銀色で覆われる。
 「ガルデン!」
 それが、仲間であり戦友であり、今はパフリシアの為に尽力を注いでくれているガルデンの背中だとすぐに気付き、アデューは叫んだ。
 ガルデンはアデューの前で、僧侶のようにホーリーシンボルを掲げ神へ祈りだした。ガルデンは闇の力を使う魔法使いであるのに、神の奇跡の技も使う。それで剣の腕も超一流なのだから、はっきり言って誰もガルデンには敵わない。だが今相手にしているのは、パフリシアの城の奥底に古くから取りついていた悪霊で、それが、祓われた腹いせに全力でかけてきた怨みの力だ。人間ではない上に、長い長い年月の間に力をつけた悪霊の力なのだ。
 「くっ」
 ガルデンは小さく呻くような声を漏らした。奇跡の技で怨みを弾こうとしたのだが、間に合わず、完全には弾けなかった。もっとも周囲には何が起きているのかさっぱりわからない。悪霊から何かの力が放たれ、それがガルデンを包み込んでしまったのがわかったのは、イズミと、当のガルデンだけだ。
 ガルデンは、突然膝を着いた。
 「ガルデン?!」
 アデューはもう一度叫んだ。
 「大丈夫か!?」
 イズミが走り寄る。その前で、ガルデンは苦しげに身体を丸めた。
 アデューは、広く天井の高い部屋の中の、その天井の隅の方を見上げた。悪霊がいた場所だ。しかしそこにはもう姿は無い。部屋の中をぐるりと見回したが、どうやらどこにもいないようだ。イズミの力で祓うことに成功して消滅したのか、それとも逃げ去ったのか、はっきりわからない。だがいないのならば次の攻撃は無いだろう。アデューはそれを確認してからガルデンとイズミを振り返った。
 「イズミ! 何があったんだ? ガルデンは何をされた?」
 アデューは、悪霊が何をしたのかをイズミに訊ねた。しかしイズミは首を横に振った。
 「わかりません。あやつの力がガルデンを包んでしまったことしか」
 「ガルデンを包んだ? 今もか?」
 「いえ、今は見えません。身体の中に入ってしまったようだ」
 「何だって? おい、ガルデンは大丈夫なのか? ガルデン……!」
 アデューは身をかがめ、ガルデンの肩に触れた。ガルデンは僅かに顔を上げてアデューを見たが、苦しげで焦点があっていない。その目がふっと閉じられ、ばたりと横に倒れてしまう。
 「おい! ガルデン! ガルデン!」
 アデューは必死にその名前を呼び、身体を揺すった。だが気絶したガルデンは全く反応しない。いや、ふいにぶるっと震える。無意識にだろう、手をぎゅっと握り締める。顔は苦しげなままで、息が荒く、ふいにその口から呻き声が漏れだす。
 アデューとイズミは、おろおろとそれを見ていた。アデューはそのガルデンの様子に、以前もそんな苦しげな姿を見たことがある、と思った。額に皺を寄せ、それを思い出そうとする。その目の前で、異変が起きる。
 「あっ!」
 アデューは叫んだ。
 「これは……」
 イズミも目を見張った。
 その場にいたのは二人だけではない、最初に悪霊を見付けてしまった女官や、騒ぎにかけつけた兵士らもいた。それらの目がガルデンに釘付けになる。
 ただ見ているしかなかった。それをどうやったら止めることが出来るか、などと考える暇もなく、あっと言う間にその異変が進み、そして止まった。
 「なん、で……」
 アデューは呟き、ガルデンの身体へ手を伸ばした。すると手が届く前に、ガルデンが目を開く。アデューは思わず手を止めた。
 何が起きたのかわかってないのだろう。ガルデンはぼんやりと床を見ていたが、むくりと身体を起こした。だがその途端、はっ、と息を吸い込むと、顔に恐怖の表情を浮かべた。
 小さい声で「やだっ」と叫び、ぎゅっと目を閉じる。両手を胸の前で強く握り締め、身体をぶるぶると振るわせる。その目からポロポロと涙がこぼれ出し、恐怖を浮かべた顔がどんどん青ざめていく。
 「ど、どうしたんだ!?」
 「これはもしや……まずい!」
 驚くしか出来ないアデューにイズミは叫ぶと、ホーリーシンボルを取り出した。そして神に祈り出す。
 「むうっ」
 イズミは浄化の為の力を使い、ガルデンから闇の力を消していく。イズミの力を受けて、ガルデンの小さな身体の震えが止まる。目を開けると、涙の溜まった瞳をイズミに向ける。不思議そうにイズミの祈る姿を見ていたが、腕を上げ、自分の目と、顔を流れる涙を腕でぬぐう。それからガルデンは、ぶかぶかになった自分の着衣を見た。袖がとても長く、手が出ていないのだ。
 ガルデンは、周りを見回した。右から左から、ぐるりと360度見、顔を上げて天井の方まで見、窓から外も見て、顔をやっと正面に向けてイズミを見る。
 「ここ、どこ?」
 涙も止まり落ち着いた様子のガルデンに、祈るのをやめたイズミは困ったような顔でガルデンを見ていた。困った顔なのはアデューも同じだ。二人とも、困っただけではなく困惑しきっている。
 「おじさんたち、何? セラン、どうしたの?」
 涙は止まったが、不安げな顔をする。舌っ足らずな口調だ。セラン、とは自分を差しているのだろう。アデューは、ガルデンの幼少の頃の名前が、セラン・ガルデンといったのだと聞いていた。
 そう、ガルデンは、幼少の頃の名前を名乗るのに相応しい姿になっていた。つまり、身体が小さくなってしまったのだ。小さい……いや、子供に返ってしまっている。四、五歳くらいにしか見えない。
 先程の悪霊の仕業だろう。それ以外には考えられない。しかし悪霊の仕業とわかっても、それで納得出来るものではない。二百歳を越えている人間が、わずか五歳くらいの子供に戻ってしまったのだ。それを目にしている二人が、困惑しきっているのは無理もないだろう。
 その時アデューは、先程の苦しげなガルデンをどこで見たのか思い出した。変化の魔法を使った時に見たのだ──その時ガルデンが魔法を使ったのは、女性に化ける為だった──。身体を変化させるのは、苦しみを伴うとは聞いたが、まさかそれほどとは思っていなかった為、ずいぶん驚いたのだ。
 それにしても……呆然としながらアデューは、あることに気付いた。そして呟きを漏らす。
 「おじさんたちって、俺もおじさんかよ……」
 と。
 
 ガルデンが子供になってしまった。このことは、その場で見ていた者たちには他言無用であることときつく申し渡した。どうやら子供のガルデンには魔法が使えないらしく、あまりにも無防備だからだ。今のガルデンはパフリシアにとっては重臣と変わりない立場だが、昔のことを恨んでいる者がいなくはない。これをチャンスと命を狙われる可能性がある。
 アデューとイズミは、すぐにパッフィーのところに行き、マイヤーも合わせて相談を始めた。ガルデンを元に戻すには、悪霊がかけた術を消すことだろう。しかしそれをするには、悪霊自身に消させるか、力のある僧侶を頼る必要がある。しかし悪霊は姿をくらましてしまったし、術を消す為に戻ってくるわけなどないだろう。またこのパフリシアには、二百年分も若返らせてしまうような術を解けるような力を持つ僧侶はいない。
 こういう時には、僧侶の国であるトゥーイックを頼るのが一番だ。しかしトゥーイックはパフリシアから遠い。ガルデンはどう見ても五歳程でしかないので、一人でなど行かせられるわけはない。となると旅慣れた者に連れて行かせるべきだ。更に、どうやら記憶まで子供に戻ってしまったらしいガルデンの世話をするのに、子供に慣れている者がいた方がいい。ここまできて、ヒッテルの名前を思い出さない者はいなかった。もっとも最初は、アデューが「俺が行く」と言い張ってきかなかった。しかし当然ながら、これは断固として反対された。そうこうする内に、アデューがガルデンを連れ出して旅に出てしまわないよう二人は監視されることになり、またヒッテルの元へは、連絡の為の早馬が出されたのであった。
 
 「ガルデン」
 アデューはガルデンを呼んだ。しかしガルデンは、イズミのそばに腰かけ、アデューを振り返らない。
 イズミは、国民から王立教会へと寄せられた相談事や依頼の記載された書類を整理していた。イズミは僧侶だが、僧侶として祈りを捧げるのは基本的に王家のためだけで、あとは国内の教会の管理的仕事を担っている。書類の整理等は、本来は教会詰めの事務官の仕事なのだが、昨夜の悪霊騒ぎで倒れてしまい、今日は休んでいる。それでイズミが代わりにその仕事をしているのだが、どういうわけかガルデンは、そのイズミの作業をじっと眺めている。
 「ガルデン……セラン」
 アデューは、ガルデンが振り返らない為、幼名を呼んだ。ガルデンはぴくりとするとその声の方を振り返ったが、警戒するような眼差しを向けるだけでアデューの方へ行く気配は全く見せない。
 アデューはガルデンのそばに近付いた。するとガルデンは、椅子から下り、イズミの身体の向こう側へと回ってしまう。
 「ガルデン……何でなんだよイズミ〜?」
 アデューは情けない声を出した。──昨日からずっとこうなのだ。
 子供になってしまったガルデンは最初、自分の身体に蓄えた闇の力と意志に耐えられずに苦しんだ。それを助けたのはイズミだ。それでなのか、ガルデンはイズミの傍らから離れようとしない。アデューが近付くと逃げてしまう。もっともアデューに限ったことではなく、パフリシア内でガルデンが懇意となった者たちに対してもだ。しかしパッフィーにだけは違った。差し出した手に対し、おずおずと近付き、すっぽりと抱き抱えられてホッとしたような顔をした。子供らしい仕草に周囲もホッとしたが、だがアデューの心境は複雑だ。なにしろアデューには、ガルデンの一番の友だという自負がある。
 「アデュー、昨日も言ったが、ガルデンは本能的に闇の力を恐れており、僧侶の力をあてにしているようだ。別に私自身になついているわけではない」
 イズミは書類を読む手を止め、アデューを慰めるように言った。
 アデューが一番納得いかないのは、イズミに対するガルデンの態度だ。大人のガルデンは、イズミにパフリシアの重臣としての敬意は払うものの、それ以上のことはなかった。しかし今は、庇護を求める子供のようだ。それだけでなく、ガルデンは時折イズミの顔に手を出して触れたり、膝によじ登ろうとしたりしている。今はイズミから、仕事中だからそこで見ていなさい、と言われ、おとなしく椅子に座ってイズミを見ていたのだ。
 「でもイズミ。俺もガルデンを抱き抱えてみたい」
 アデューはストレートに言った。
 子供になったガルデンは、とても愛苦しい顔をしている。微笑むとその可愛さは筆舌に尽くしがたい程だ。ところがそれは今のところ、イズミとパッフィーにしか見せていない。
 アデューは、子供になったガルデンを、普通の子供をあやすようにあやしたり、遊んだりしたい。それで笑顔になるならその顔を見たい。更に抱き抱えてみたい。それは可愛い子供を見た人間の普通の感情で、特に怪しい意味はない。イズミにしても、自分になついてくるガルデンが可愛い。だからアデューの言いたいことは理解出来た。
 「警戒心が強いようだが、慣れればお前にもなつくようになるだろう」
 「でも、都合によるだろうけれど、早ければ明日にはヒッテルが来るだろう? そうしたらトゥーイックに行っちゃうじゃないか」
 アデューは拗ねて、子供のような口調で言った。イズミは苦笑した。
 「ヒッテルが来ても、すぐには旅立つまい。この様子ではヒッテルに慣れるのにも時間がかかりそうだからな」
 「そうか、そうだな」
 アデューは、ヒッテルにも慣れないのではないか、というイズミの言葉に、少し留飲が下がる気がした。
 
 そして翌日。
 ヒッテルとカッツェが城へやってきた。
 
 「どこや? どこにおるんや?」
 カッツェは挨拶もそこそこにガルデンの姿を探した。呼んだのはヒッテルだが──二人して孤児院を空けさせるわけにはいかないと思ったからだ──カッツェもついてきた。しかし予想はしていたことだ。カッツェの方も、イズミたちの予想通り、野次馬根性丸出しで隠そうともしない。
 「やぁカッツェ。ガルデンなら中庭だぜ」
 「ホンマに小さくなってしもうたんか?」
 応対したアデューに、カッツェは興味津津でガルデンのことを聞いた。
 「自分の目で見てみればいいだろ?」
 対してアデューはがっくりした顔をしている。
 「どうしたアデュー?」
 ヒッテルが訊いた。
 「あぁヒッテル。……ガルデンが全然なついてくれないんだ」
 アデューは正直に言った。
 昨日、イズミにああは言われたが、やはり納得出来なかった。今の様子では確かにヒッテルのことも警戒しそうだが、しかしヒッテルとは付き合いの長さが違う。もしかしたらヒッテルにはなつくかもしれない。そう思ったらアデューは、いてもたってもいられなくて、ボールを目の前に投げてみたり、虫を捕まえてきたり、ぬいぐるみを持ってきたりした。しかしそれでも、ガルデンはアデューに興味を示さなかった。
 「何か俺、自信が揺らいできた……」
 アデューの落ち込みっぷりは、傍から見ると「国王が何故そんなにも」と思える。とは言え二人はアデューのガルデンへの関心の高さは知っているので、落ち込む理由は充分にわかる。しかし……苦笑するしかない。
 「アデュー、奴が子供でいるのは短い間のことだ。元に戻りさえすれば良いことで、今なつかれる必要はあるまい?」
 ヒッテルは静かに言った。
 「そや。まぁとにかく、その小さいガルデン、拝ませてもらおかいな」
 カッツェはウキウキした様子で言うと、中庭へと向かう。
 二人が中庭に行くと、イズミの姿が見えた。そのイズミの頭の後ろに何かがいる。
 「なかなか見ものだな」
 ヒッテルはそれを見て呟いた。イズミの頭の後ろにいるのはガルデンだ。肩車をしてもらい、すぐ横にある木に手を伸ばしている。
 「何してるのやろ?」
 ガルデンはその手に何か持っているようだ。その手を、木の枝の上に伸ばし、手の中の物を置く。どうやらそこにあるのは鳥の巣のようだ。雛が巣から落ちたので、戻しているのかもしれない。
 「イズミ」
 二人は近くまで寄ると、ヒッテルがイズミを呼んだ。
 「おお、ヒッテル、カッツェ。来てくれたか」
 「ああ。妙なことになったものだな」
 「こんちはイズミ。まるで父親みたいやな」
 二人の方を振り返ったイズミは、カッツェの言葉に固まった。
 「なんや、父親言われたら不満なんか?」
 「カッツェ……私は妻もおらんのだぞ」
 「せやかて、似合うとるで」
 何の悪気もないカッツェの言葉に、イズミは憮然とした顔を見せた。
 「その様子では、他でもそう言われてるのだな?」
 ヒッテルは、にやりと笑って言った。
 「……この通り、容貌があまりにも違うので、隠し子疑惑だけは無くて済んでいるがな」
 「イズミ……」
 イズミの頭の上で、ガルデンがか細い声を出した。小さな手をイズミの顔の横に持ってくると、きゅっと掴み、イズミの頭の後ろに自分の顔を隠すようにする。
 覚えの無い二人に、警戒しているのだ。
 「ホンマにわてらのこと、覚えてないんやなぁ」
 カッツェはそのガルデンの行動に驚いた。
 「我々のことだけでは無い。自分の名前以外のことはほとんど覚えていないようだ」
 「実際のこの年齢の時の記憶だけはある、ということか?」
 「いや、それもなさそうだ。周りのもの全てを怖がるのは無理もないかもしれん」
 「ふーん。ガルデン、わてら友達や。怖いことあらへんで」
 カッツェがそう言うと、ガルデンはイズミの頭の影から、そっと顔を覗かせた。
 「うわぁ、ホンマに可愛い!」
 カッツェは嬉しそうな声を上げた。声に驚き、ガルデンの顔はまたイズミの頭の後ろに隠れてしまう。
 「しかし意外やなぁ。ガルデンが人見知りやなんて」
 「意外ではないな」
 ヒッテルは静かに言った。
 「兄ちゃん……一緒に旅してる時、そんなことあったんか?」
 「まぁな」
 「へぇ〜。わてには驚きやわ」
 カッツェは、心底意外そうに言った。ヒッテルはイズミのすぐ横まで近付くと、少し上を見上げた。ヒッテルは背が高いが、巨体のイズミはそれよりも高い。そのイズミの肩に乗っているのだから、ガルデンの頭はかなり高い位置にあることになる。
 ガルデンは、ヒッテルが横に並んだことで、イズミの頭に隠れられなくなってしまった。それでもヒッテルから出来るだけ離れるように、身体を反対側へ移動させる。そして身体を固くすると、ただとにかく、ひしっ、とイズミの頭にしがみつく。
 「これセラン」
 ガルデンの小さな手で目を塞がれてしまったイズミが注意をする。だがガルデンは手を放さない。
 「セラン?」
 ヒッテルはイズミの言葉に、いぶかしげな顔をした。
 「ガルデンの幼名だそうだ」
 「そうなのか」
 ヒッテルは、知らなかった名前に驚いた。
 「セラン……」
 ヒッテルはその名を口にし、じっとガルデンを見る。その顔が、だんだんと崩れてくる。ニンマリと締まりの無い顔で、目などはとろけてしまいそうだ。
 「可愛いなぁ。これがガルデンとはなぁ……」
 声も裏返り気味で、これまたなかなか気色悪いものがある。
 ガルデンもそう感じたらしく、ますます身体を遠ざけようとする。
 「おいヒッテル、ガルデンが怖がっているぞ」
 イズミが注意したが、構わずヒッテルはガルデンの方へ手を伸ばした。
 その途端。
 「やだっ」
 ガルデンは突然叫ぶとイズミの頭から手を放した。イズミの肩の上で、出来る限りヒッテルから離れるように身をねじっていた為、その拍子に肩の上から落ちる。
 「うおっ」
 驚いて叫んだのはイズミだ。慌てて振り向き手を出す。だがそれよりも早く、ヒッテルの方がガルデンの身体を受け止めていた。
 ガルデンはヒッテルに抱かれて、呆然とヒッテルの顔を見上げた。だがそのうちに恐慌をきたしたように泣きだす。
 「お、おい」
 ヒッテルは慌てた。まさか自分がガルデンに泣かれるなど、思っていなかった。
 「いやぁ〜、とうさまぁ」
 泣きじゃくりながらガルデンは、ヒッテルの手の中で暴れると、無理矢理そこから抜け出した。そしてイズミにしがみつく。
 「とうさま?」
 しがみつかれ、泣くガルデンを反射的に抱きあげたイズミは、そこで再び固まった。
 拒絶されたヒッテルも固まる。
 「そう言えばガルデンの父親は邪竜族やな。がたいのデカい奴だったのとちゃうやろか。それでイズミのことを父親や思うとるのとちゃうか?」
 カッツェの冷静な分析に、イズミはぎこちなく「は、は、は、」と笑った。
 「ま、まぁ、記憶が曖昧になっているようであるから、致し方ないか……」
 絞り出すような溜息を漏らし、苦笑いを浮かべる。
 ……ところでヒッテルは、しばらく固まったままだった。
 
 それからしばらくして。
 ヒッテルとカッツェに会う為に客間へやってきたパッフィーは、見慣れないものに驚いた。
 客間のソファーに並んでアデューとヒッテルがいるのだが、二人ともがっくりと肩を落としているのだ。
 「どうしたのですか?」
 挨拶もそこそこに、別のソファーに座っているカッツェに心配そうに訊いた。カッツェは軽く肩をすくめた。
 「あれや、あれ」
 カッツェは、客間の窓側で、ころころと毬を転がして遊んでいるガルデンとイズミを指差した。イズミはすっかり観念したらしく、完全に優しい“父親”化している。──意外とまんざらでもないのかもしれない。
 「ガルデンが、どうしたのですか?」
 パッフィーは、カッツェの言葉の意味が飲み込めず、問い返した。
 「ガルデンなぁ、イズミを父親だと思っとるみたいなんや。やたらなついとるやろ? せやけど、こっちの二人にも見向きもせんのや。そないわけで、二人とも、ガルデンが構ってくれへんてショック受けとるんや」
 カッツェは呆れたように言うと、やれやれ、と言うように、もう一度肩をすくめた。
 パッフィーは、
 「まぁ、それで」
 とだけ言うと、くすりと笑った。そして、
 「セラン」
 と呼ぶ。呼ばれたガルデンは顔を上げると、毬をイズミに投げたまま、ととと、と走ってパッフィーの方へ駆けてくる。パッフィーが身をかがめると、ガルデンはその腕の中へ走り込み、パッフィーはその身体を抱え上げた。
 「……どうなってるんや」
 「イズミを父親と思っているのなら、わたくしのことは母親だと思っているのかもしれませんね」
 パッフィーは穏やかな笑顔で言うと、ガルデンを抱いたまま空いているソファに座った。
 「そうかもしれんへんなぁ」
 ガルデンが、パッフィーの胸の中でおとなしく、それも幸せそうに抱かれている姿に、カッツェは感心するように言った。
 そこに、イズミが毬を持ったまま近付いてくる。
 「パッフィー様、少し考えていたのですが」
 「イズミ、なんでしょう?」
 「ガルデンを、大人に戻す必要はあるのでしょうか?」
 「どういうことや?」
 イズミの言葉にカッツェは驚いた。
 「……今のガルデンには、闇の気配がまったくありません。このままの状態であれば、闇の力に侵されることはないでしょう。……イドロに強制された過った道を、やり直すことが出来るのと思うのです」
 「それは……そうですね」
 パッフィーはイズミの提案に考え込んだ。その話が聞こえていたのか、アデューとヒッテルがほぼ同時に頭を上げる。
 「闇の力を持たないガルデン……」
 なんだか妙に現実離れした話に思える。だがそれは、確かに良いことだ。闇の力を持つことで、ガルデンは誰よりも強い魔法が使えるが、それは必要ではないことだ。闇の力がなくとも、ガルデンは充分に強く、そしてまた剣の腕も立つ……。
 「いや、でもちょっと待てよ。大人に戻らないってことは、今の状態から育てていくってことだよな? 今の状態は、剣術も魔術も知らなくて、それに、邪竜族との戦いとか、全然記憶になくて、その、俺との……」
 アデューは言葉が続けられなくなった。
 自分が今考えていることは、自分の我が儘だ。これまでにあった自分との記憶をガルデンに持っていて欲しい、ということは。それよりも遥かに、闇の力を捨てることの方が重要なのだと、理性が理解を示していて、アデューにはそれ以上のことを言えなくなった。取りも直さず、記憶がないのなら、本当にやり直せるのだ。人々を殺し苦しめてきた記憶など、持つ必要はどこにもない。
 ヒッテルはそのアデューを見て、ヒッテル自身の思いを心にしまい込んだ。ヒッテルにとってもそれは同じだったからだ。
 「なんや、ぴんときぃへん。……こないなこと言うたらおかしいかもしれへんけど、あのおっかない顔も案外魅力的や思うんや」
 「そうですね」
 カッツェの言葉に、意外にもパッフィーが同意した。そしてくすくすと笑う。その笑うパッフィーを、ガルデンは不思議そうに見上げた。
 パッフィーはそのガルデンの頭を優しく撫でながら、女王らしい威厳で言った。
 「もっと、よく考えてみてみなければいけませんね。ナジー様もお呼びして相談した方が良いかもしれません」
 その言葉に、イズミ、アデュー、ヒッテル、カッツェは頷いた。


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